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2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」視聴率の推移を紹介!

大河鎌倉殿の13人あらすじ ドラマ

この記事では鎌倉殿の13人の視聴率の推移をまとめています。

あらすじやキャストも紹介しています。

 

鎌倉殿の13人視聴率表

放送回 放送日 サブタイトル 視聴率
第1話 1/9 大いなる小競り合い 17.3%
第2話 1/16 佐殿の腹 14.7%
第3話 1/23 挙兵は慎重に 16.2%
第4話 1/30 矢のゆくえ 15.4%
第5話 2/6 兄との約束 13.4%
第6話 2/13 悪い知らせ 13.7%
第7話 2/20 敵か、あるいは 14.4%
第8話 2/27 いざ、鎌倉 13.7%
第9話
第10話
第11話
第12話
第13話
第14話
第15話
第16話
第17話
第18話
第19話
第20話

 

 

鎌倉殿の13人あらすじ

平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。だが流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、運命の歯車は回り始める。

1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。北条一門はこの無謀な大博打ばくちに乗った。頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、遂には平家一門を打ち破る。

幕府を開き将軍となった頼朝。だがその絶頂のとき、彼は謎の死を遂げた。偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。 “飾り” に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿すげ替えられていく。

義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵かじを取る。源氏の正統が途絶えたとき、北条氏は幕府の頂点にいた。都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。武家政権の命運を賭け、義時は最後の決戦に挑んだ──。

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。頼朝の天下取りは十三人の家臣団が支えていた。頼朝の死後、彼らは激しい内部抗争を繰り広げるが、その中で最後まで生き残り、遂ついに権力を手中に収めたのが、十三人中もっとも若かった北条義時である。

引用:「鎌倉殿の13人」公式サイト

 

 

キャスト

北条泰時 (小栗旬)

源頼朝から信頼を得る。
13人の御家人の1人に抜擢され、後に鎌倉幕府第2代執権となり、実質的に鎌倉幕府の実権を握るようになる。

 

源頼朝(大泉洋)

1192年に征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府を開いた人物。
平家との争いの中流罪になったり、弟の義経との確執を抱えながら天下を取るために奔走する。

 

梶原景時(中村獅童)

石橋山の戦いで平氏側であったにもかかわらず、出くわした源頼朝を見逃して以来、頼朝から高い信頼を得て鎌倉幕府の侍所所司を任せられる。

 

三善康信(小林隆)

母親が源頼朝の乳母の妹であったことから、伊豆へ島流しに会っていた頃も、都の情勢を伝えるなどして頼朝を助けていた。鎌倉幕府では頼朝に問注所執事を任される。

 

源義経(菅田将輝)

源頼朝の異母弟。天性の剣術や奇襲攻撃で、数々の勝利に導く活躍をみせる。壇ノ浦の戦いでは平家滅亡を成し遂げたにも関わらず、頼朝の信頼を得れず悲劇的な最期を遂げる

 

大江広元(栗原英雄)

学問に長け、優れた文才能力を頼朝に認められる。鎌倉幕府では公文所別当を任せられる。
頼朝への申次を担う役目も任されており、頼朝から高く評価、信頼を受けていた側近。

 

源範頼(迫田孝也)

源頼朝の異母弟。源平合戦では大将を任され、壇ノ浦の戦いでは源義経と共に戦い勝利に貢献し、後世も頼朝への忠誠を貫くが、誤解が元で頼朝との関係が悪くなる。

 

北条時政(坂東彌十郎)

北条義時、北条政子の父であり、鎌倉幕府の初代執権を務め幕府内での北条氏の権力の土台を築く。後に子供である義時、政子と対立する。

 

和田義盛(横田栄司)

頼朝の信頼を得て、鎌倉幕府の初代侍所別当を任される。後に鎌倉幕府の背後で権力を握る北条氏を失脚させようとするが、北条義時によって一族もろとも滅ぼされる。

 

安達盛長(野添義弘)

頼朝を島流し当時から支えて、頼朝が本音を話すほどの気を許す人物。鎌倉幕府でも頼朝の側近として上野国の奉行人や三河国の守護を担う。

 

比企能員(佐藤二郎)

13人の合議制のメンバー。梶原景時失脚に伴い幕府内で権力を拡大したことで北条氏と敵対することになる。

 

三浦義澄(佐藤B作)

島流し時代から源頼朝に仕え、鎌倉幕府成立時には頼朝への征夷大将軍の除書を受け取る役目を果たした幕府内の筆頭御家人。

 

まとめ

気になり視聴率を随時更新していきたいと思います。

これから出演するキャストや話の展開も気になるところです。

チェックしていきましょう!

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