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【大河ドラマ】鎌倉殿の13人の読み方は?13人とは誰のことかも!

鎌倉殿の13人読み方 開店・閉店

2022年1月から始まるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。

どのように読んでいますか?

脚本は三谷幸喜、主演は小栗旬ということで注目されています。

この記事では、「鎌倉殿の13人」の読み方や、13人とは誰のことを指しているのか?などをまとめています。

 

読み方

「鎌倉殿の13人」というタイトルですが、この読み方は”かまくらどの”と読みます。

“かまくらでん”ではありませんよ。

なので”かまくらどののじゅうさんにん”というタイトルになります。

ここで気になるのか、”鎌倉殿”というワードですよね。

“鎌倉殿”は、「鎌倉幕府の将軍」のことなんです。

これには所説あるようで、”鎌倉殿”は鎌倉幕府そのもののことだという説もありますが、このドラマでは、鎌倉殿は鎌倉幕府の将軍のことを指しているようなんです。

それが分かると次に気になるのは、鎌倉殿の13人の13人はどんな人たちなのか?ですよね。

鎌倉幕府で将軍というワードが続くと最初に考えるのは、源頼朝ですがこのドラマは頼朝の死後、二代目将軍となった頼家の時代のお話になっています。

頼家を補佐し、幕府を運営するために“13人の合議制”を確立させます。その13人の中の1人が北条義時で小栗旬さんが演じます。

 

13人のメンバー

源頼朝は合議制ではなかったのになぜ確立されたのか?ですが、二代目の将軍となった頼家が独裁的な政治が目に余ったようで、義時を含む13人の家臣で合議制を確立しました。

この北条義時が主役なんですが、義時は何モノなのか?

 

北条義時 / 小栗 旬

義時は、伊豆の豪族・北条時政の次男として生まれます。

義時の姉は源頼朝と結婚した北条政子です。

頼朝と政子の結婚を機に頼朝の側近として働き、鎌倉幕府の創設に貢献していきます。

頼朝が平家を倒すために挙兵した際には、北条時政・義時親子も参戦し、勝利に貢献したことにより、頼朝からの信頼をさらに得ることになります。

頼朝が急死してしまい、頼家が二代目の将軍となりますが、独裁的な政治を行うため、義時を含む13人の家臣と合議制を確立させることになります。

若くして亡くなった頼家の後、三代将軍には実朝になり、幼い実朝を補佐していた義時の父である時政が政治の実権を握ることになります。

権力争いが増し、実朝を亡き者にようとした争いで義時は実朝側につき、時政を失脚に追いやります。

この出来事きっかけとなり、義時は執権となります。

ですが、実朝も若くして暗殺されてしまい、実朝に子どもがいなかったために直系の血が絶えてしまいます。義時は天皇家から将軍を迎えようとしますが、天皇家からは断られてしまい、さらには後鳥羽上皇は北条氏を討伐しようとします。

義時は姉の政子と協力して、後鳥羽上皇軍を破ります。(承久の乱)

源義時は最初から秀でた人物ではないけれど、試練を乗り越えて強くなり権力を手にするようになります。どのように試練を乗り越えるのか?がこのドラマの見どころになりそうです。

 

北条時政 / 坂東 彌十郎

主人公の北条義時の父に当たる人ですが、出自については資料が残っていないようです。

当初は伊豆に拠点を構える豪族でしたが、1159年の平治の乱で敗退した源義朝の子ども・源頼朝が流刑で伊豆に流されたため、その監視役を務めることになりました。

このことがきっかけで政子は源頼朝と結婚することになります。

源頼朝が流刑地を脱走したりして、時政と頼朝はしばらく別行動をしていましたが、1180年の富士川の戦いで二人は合流します。

壇浦の戦いで平家が滅びた後、源頼朝が実験を握り、北条時政は側近として仕えるようになります。

親子そろって政治の能力は高かったのでしょう。

 

比企能員(ひきよしかず)/ 佐藤 二郎

比企家は源家の乳母を務めていたことから、源家とつながりがありました。

乳母を務めることができるのは、ある程度の財産や地位がないと務めることができないため、それなりの武家で間違いないでしょう。

13人の合議制が成立した時も、比企家から1人選ばれています。

頼朝の乳母を務めた比企尼の甥で、比企尼の養子である比企能員です。

頼家は能員の屋敷で生まれ、能員の妻が乳母を務めています。

その後、能員の娘が頼家の妻になり結びつきは強くなりますが、頼朝の死後に対立することになります。

頼家の病気をきっかけに、1203年に比企能員の変を起こします。

 

安達盛長 / 野添 義弘

出自についての詳しい資料はないようですが、盛長は頼朝が伊豆に流刑されたときから側近のようです。

頼朝の乳母である比企の尼の長女を正室として迎えています。

頼朝の死後、頼家の政治を補佐するために13人の合議制のメンバーになります。

 

和田義盛 / 横田 栄司

相模国大豪族の三浦家に生まれます。

1180年に源頼朝らと戦い、侍所別当の任を受けます。

その後も平家討伐のために戦い、頼朝を支えます。

頼朝の死後、13人の合議制の一人になりますが和田の合戦で敗死してしまいます。

 

梶原景時 / 中村 獅童

1180年の石橋山の戦いで敗れた源頼朝を救ったことにより、頼朝から信頼されるようになり、別当所司に任じられます。

頼朝の死後は13人の合議制の一人となり、頼朝の弟・義経の失脚に追い込むなど、御家人統制に奔走します。

しかし有力御家人からの反感が強く、鎌倉から追放されてしまいます。

1200年源氏の同族・武田有義を擁立し、幕府に対抗しようと西上の途中で阻止され、一族もろとも戦士してしまいます。

 

三浦義澄 / 佐藤 B作

相模国の出身の武士で、父は三浦義明です。

源氏側の武将として平治の乱や壇ノ浦の戦いにも出陣し、戦功をあげています。

1192年に源頼朝が征夷大将軍の徐書を鶴岡八幡宮で受けるという大任を果たします。このことから、頼朝の三浦氏に対する処遇の厚さがわかります。

頼朝の死後、13人の合議制の一人となります。

 

足立遠元

武蔵国の武士で、源頼朝の側近とし仕えています。

頼朝の死後は合議制の一員となり、実朝にも仕えています。

源氏の3代の将軍に仕え、宿老として重用されました。

 

八田知家

常陸八田出身で、宇都宮宗綱の四男として生まれます。

源義朝の10男だったのではないかする説もあります。

1183年に頼朝の推挙のないまま官位を受けてしまい、頼朝の怒りを買ったてしまいますが、挫けることなく頼朝に仕え1189年の奥州合戦において東海動代将軍に任命されます。

頼朝の死後、13人の宿老の一員となります。

 

中原親能

公家出身の御家人。

頼朝が流人のころから親交があって、その後側近になったという説もあるが定かではないよう。

しかし、鎌倉幕府では軍事や行政を補佐し、公事奉行などの重責を歴任。

頼朝の次女の乳母に親能の妻が就任。

頼朝の死後、13人の合議制の一人となります。

 

二階堂行政

下級貴族出身。

公文所の設置や寺社の差配、幕府の財政などの業務に携わります。

政所の大江広元が鎌倉を不在にすると、留守時の業務を統括したようで、民部大夫と呼ばれました。

1199年に有力御家人による13人の合議制が敷かれ、13人のメンバーに名を連ねています。

 

脚本は誰が担当?

「鎌倉殿の13人」の脚本は三谷幸喜さんが担当します。

過去「新選組!」「真田丸」に続く3作品目になります。

頼朝の死後、後を継いだ頼家が父親を越えようと行動しますが、目に余るようになり、13人の御家人が合議制を敷き政治を行うというところが、三谷さんの目に留まったようなんです。

三谷作品の代表作は「古畑任三郎シリーズ」「王様のレストラン」でしょうか?

好きな作品はとても好きなんですが、どれもが好きという訳ではないので、今回の「鎌倉殿の13人」では、北条義時をどんな風に描くのかとても楽しみです。

合議制にしましたが、13人がいつも仲良くとはいかない訳で…。

新たな三谷ワールドが炸裂することは間違いないでしょう!

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