SLEと診断されるまでに数ヵ月?セカンドオピニオンで衝撃の一言!

SLE闘病記

全身性エリテマトーデス(SLE)という難病を30代前半で発症しました。

この病気の治療で入院生活も経験しましたし、色々な薬の副作用も経験しました。

発症して感じた体の変化や、医師とのやり取り、入院生活など経験したことや感じたこと書いてみました。

このブログに書き込んでいる私は、薬を多く(9錠)飲むこと以外は、健康な人と変わらない生活を送れていると思います。

少し年月が経ったので冷静に振り返ることもできていると思いますし、書けることも増えてしまいました。必ずしもいいことばかりではありませんが、このブログが少しでもお役に立てれば幸いです。

この記事では病名を告げられた時のことを書いています。

 

セカンドオピニオンを受けた理由

年末、父に「病院に行け」と言われて、反抗したしたものの違う病院へ行くことにしました。

 

理由は足が浮腫みでパンパンに腫れて、正座がしにくかったり、倦怠感も強くなり、一人で布団から起き上がることができない時もあって、更には脱毛の症状も出てきて、これはおかしい…と。

 

症状が悪化している知っていて何もしてくれない医師にも不満もあり、病院を変えてみることにしました。

 

女性医師の衝撃の一言

年が明けて総合病院を受診しました。女性の先生で、腫れた手と足を見せながら今までのいきさつを説明しました。

 

通院していたことや、良くなって悪くなるを繰り返していたことや、血液検査をしたことなど。

通院していた病院では、「自立神経の乱れと診断されました」と言うと

 

担当医師
担当医師

そんなわけないよ。

と、一言。

 

一瞬頭の中が真っ白になって、目が覚めたような気がしたと同時に、怒られたとも思いました。

 

その日は問診だけでしたが、

 

担当医師
担当医師

血液検査をして帰ってね

次に来るときは家族の人を連れてきて下さい。

担当してくれた女性医師に淡々と言われ、家族を連れてくるってことは、厄介な病気決定?

動揺しながら、血液検査をして家に帰りました。

 

セカンドオピニオンでの診断結果

「家族と一緒に」と言われていたので、夫と一緒に病院に診断結果を聞きに行きました。

 

担当医師
担当医師

他の先生とも相談して、病名がつきました。

 

相談して判明させなければいけない病気って!?

 

担当医師
担当医師

全身性エリテマトーデスです。

えっ?

何の病気?

と思っていると、

 

担当医師
担当医師

膠原病の一種ですよ。

 

と説明されて、少しだけ理解できました。知識はまるでありませんでしたが、遺伝かな?と思いました。母方の祖母がシェーングレーン症候群だったからです。

 

全身性エリテマトーデスは女性に多い病気です。男女比は1:9ほどで、圧倒的に女性が多く、生理が始まってから、終わるまでの期間に多くみられるようです。

 

全身性エリテマトーデスの原因は分かっていません。

 

自分自身の体を免疫系が攻撃してくる病気で、きっかけは、紫外線、外科手術、出産などではないかと言われていますが、ハッキリとはしていません。

 

SLEは遺伝的要因を背景に環境的要因が加わって発症すると考えられていて、いわゆる遺伝病ではないようですが、この病気をはじめ自己免疫疾患が親族に多くみられる多発家系があります。これが私がSLEに罹った大きな要因かなと予想しています。

 

女性医師からの入院命令

女性医師からの病が告げられて、放心していると、

 

担当医師
担当医師

入院は最低でも一週間。

すぐに入院して下さい。

 

女性医師は落ち着いた声で、「入院」を告げてきました。

 

「通院では無理なんですか?」

 

とすぐに聞き返しましたが、

 

担当医師
担当医師

そんなことをしていたら、死んでしまいますよ。

 

といわれ、何も言えなくなりました。

死ぬのは困る。

感染しやすくなっている為、通院はとても危険だと説明があり、「お子さんが小さいので、少し時間をあげますね」と言って、2週間後の入院が決まりました。

夫も私も病気について知らなさ過ぎたのと、聞いたこともない病名に放心状態だったと思います。

 

入院準備で一番大事だったこと

さあ、ジュニアを誰に預けるのか?

 

どちらの実家もそんなに遠くない場所でしたが、私は夫の実家にお願いしようと考えました。

 

当時夫は一人暮らしの経験がなく生活が不安だったのと、ジュニアが夫の両親にとても懐いていたので、お願いしたいと思いました。

 

そして、できれば我が家で生活してほしいと考えました。母親がいない生活が最低一ヵ月続きます。もっと長引くかも知れません。

 

私が考えるほど負担ではないかもしれませんが、これ以上の環境の変化は、できるだけない方がいいんじゃないか?と考えたからです。

 

娘の入院なのに、ジュニアを預ける相談もなかったと言われては大変なので、私の実家にも話はしました。「実家でジュニアの面倒を見てもらえないか?」と。

 

私の実家は、家のことは何もしない古い考え方の父を中心に動いている家庭で、当時は父も仕事をしていたからか、「そっちの家で生活して面倒を見るのは無理だよ」と言われました。

 

夫の実家にも同じように断られたら、「どちらかの実家で生活してもらうしかないな」と思いながら、夫に聞いてみてくれるようにお願いすると、夫の実家からはOKの返事が出ました。

 

ジュニアの面倒を見てもらうのは夫の両親に決定となり、入院準備を進めていきました。この頃の体調は少しだけ上向いている時で、外出もそんなに苦にならない感じでした。ですが今までの体調を考えると、少し良くなると悪くなるの繰り返しだったので、入院がこの時期で良かったと思います。

 

思い返してみて

診断結果は怖くもありましたが、病名がはっきりしてスッキリもしました。数ヵ月間病院に通っていたのは何だったのかと、腹も立ちましたし、もう少し早く判っていれば、薬の量も少なく済んだかもとも思いました。

退院後、近所のママ友に「よく旦那さんの実家に頼んだね」、「私には無理」、「家の中を見られるのが嫌だ」と口々に言われました。場所なんて関係なかったのかも知れませんが、ウチで預かってもらうことにこだわりました。

 

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